石井 力重氏 Interview

アイデアプラント

石井力重(いしい・りきえ)


-なぜ、アイデア創出を始めたのか-

私は1999年に、東北大理学部物理学科を修士で卒業後、商社に入りました。
学者になりたいという思いがあり大学院に進んだのですが、自分より周りの優秀な存在に気づき、マスターコースで卒業をしました。
でもその時、自分よりも優秀な人間の存在に気づくと共に、いくら優秀でもほんの一握りの人間しか物理学でほそぼそと食べていくことしかが出来ないという問題に直面したのです。そこで科学技術の良い所をビジネスチャンスに変えるための能力を身に着けたいと思い、商社に就職しました。

しかし、就職した製造業系の商社では、「産業の空洞化」というさらに大きな問題に直面します。国内工場の海外移転などが進み、縮んでゆく産業の中で、競合他社と案件を奪い合う日々が続きます。シェアNo.1の企業でも案件を取っても赤字、No2, 3の企業は大赤字でした。俗にいう「毒まんじゅう」状態。食べないとおなかが減るけど、食べればお腹が下る。

私も商社での仕事はとても忙しく、ひっきりなしに働いていましたが、自分の父親と同世代の工場の主任技師さんも同じくらい働いているのです。
少ない案件を競り合って受注するのでメーカーとしてどんなに良い物を作っても、赤字案件が続く。補うためにたくさん仕事をいれて夜中までフラフラになりながら働く。これでは日本のものづくりは良くならない。ーそう感じたのです。

何が問題かというと、「産業が縮小していく事」が問題だと考え、この問題を何とかしたいと思いました。

そこで、すでに娘も居たのですが、2004年に商社を辞め東北大の大学院で学び始めました。
もともとお金が溜まったらMBA(Master of Business Administration;経営学修士)を取得するつもりだったのですが、日本のものづくりを良くしたいとの思いからMOT(Management of Technology;技術経営、技術の商業化を狙う学問。)を専攻しました。
ここでは2年間、新産業創造戦略やハイテクベンチャーの創造要因等を研究しました。

大学院を終えた後は産学連携に携わる事になります。
NEDO(独立行政法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構)という所でフェローを勤め、宮城県のベンチャーに派遣されました。簡単に言えばここでの仕事は、産学連携によってベンチャーや技術系中小企業さんの新事業創出をサポートする仕事です。

そこで、ヒントを得て起業、今に至ります。

-創業のキッカケ-

産学連携の仕事をする中で、仙台では産学連携のニーズはないと言われました。
というのも、仙台というのは特殊な地域で、非常に多くの大学が存在する場所です。
なので企業の数に比べ大学の数が多い仙台では、大学から企業へのアプローチが多い、飽和状態だったのですね。産学連携が必要だという企業は既に充分やっている。

そこで言われたのが、「シーズ(ビジネスの種となりそうな技術等のこと)はもう要らない。新事業開発を手伝うなら、シーズではなく、ビジネスアイデアの状態のネタを持ってきて欲しい。新事業のネタ作りからいっしょにやって貰わないと困る。」と。

さらに、企業におけるアイデア発想の必要性を知ります。

例えば:
創業者や創業期のメンバーは創造性が高いので、沢山アイデアを出せる傾向にあります。
しかし、創業から30年くらいたった企業では、普通の社員は入ってから10年来新しいことをやった経験がない。やりたいなという気持ちがあっても、新事業開発のやり方が分からない。また、創業期のメンバーは引退が近いので、労力がかかることはやりたくない。
だから、他のメンバーは発言数が少なく、社長ばかりが張り切ってしまい新事業開発に繋がらない。ーという事がよくあるのです。

そういう企業に入っていって、アイデア創出のプロセスを手伝う。という事をやりました。

また、日本創造学会という学会に所属していたのですが、面白いことをやっている人間が居ると注目して頂き、ブレインストーミングのトレーニングや本格的な創造技法のレクチャーを受けることが出来ました。
さらに言えば、実は2004〜2006年まで、アイデアプラントという企業の前身として、名前の同じアイデアプラントという学生のスキルアップのための組織をやっていたので、ある程度のやり方や雰囲気は分かっていました。

とは言ってもやはり事業として始めた頃は失敗も多かったのですが、経験を積む中で沢山のそしてその中でも良質なアイデア出しをサポートできるようになっていきました。NEDOのフェローの任期満了後は、それまで駐在先で私が展開していた「アイデア創出の支援事業」をアイデアプラントという形で独立させ更に発展させていきました。

想いとしては日本の持つ大きな資源である「知の蓄積」をもっと活用して「日本のものづくり産業を何とかしたい」というところから始まり、現代の開発の現場では、開発の初めにコアとなる優れたアイデアの創出が非常に求められているという事実を知り、
この国を力強く発展させていくような新産業の創出に資するような「アイデア創出の支援」を使命と定め、創業しました。

-発想は特殊な技術ではない-

私の専門は「創造工学」というものなのですが、昔から取り組まれていて今なお未踏領域の闇の深い分野です。創造工学を一言で言いますと、人間が本来持っている創造性を”意図的に”使うための知見や手順です。

そうしたことをベースにアイデア創出の支援の仕事をやっていますが、たまに発想力豊かな人に会うと「発想法なんて人から習わなくても、アイデアなんていくらでも出てくるよ!」なんて言われることもあります。この意見、僕は正しいと思います。人には本来高い創造性が備わっていて、誰かから発想の方法なんて習わなくても、自然とアイデアが出るはずなのですね。

ただ、いつもはアイデアをよく出す人も、たまに調子が悪くアイデアが出にくい時はあります。そういう時に、どんな物事の考え方や思考プロセスでアイデアが出るか、を知っていると、スランプにならずにすっと本調子に戻せます。こういう再現可能な創造的思考の手順や創造的な心理様式の醸し方を明確にしたものが創造工学です。

また、ビジネスマンの中には、プランを叩いて強くしていくようなロジカルシンキングが優勢な人もいます。そういう人は、削っていくのはうまいが、発想力を使って新しいコンセプトを思いつく作業は苦手と感じているということがよくあります。こういう人にも効果的な、具体的なアイデア創出の技法があります。

いずれにしても、アイデアを創出する技術(あるいは、もう少し平たく言えば、発想技法)というのは、クリエイティビティ―という才能や芸術的な感性をインストールするようなものではなく、「そもそも人に備わっている創造力」を引き出して明示的に使う方法なのです。

-活躍の場が日本中、最近では世界まで広がっているのに、なぜ仙台を拠点として働くのか-

僕は生活の質、QOLをとても重視しています。その中で娘たちの存在が大きいですね。

娘が生まれた当時の東京は治安が悪いイメージがあったのもありますが、子供の成長において、森や山から吹く風を嗅いだり、清流の流れる川辺に遊んだりして、人の心は育つのだと強く思っているので、緑のある場所が良かったのです。
妻も僕も大学時代、仙台でした。2人が青春時代を過ごした場所であり、縁がある場所でした。
仙台の街は、半分都会、半分自然。ここで心豊かに暮らそう。と決めていました。
生活の質という点で、自分が知っている中では最善の選択肢が仙台でした。

もうひとつ言えば、もし東京に居を構えていたら、顧客のほとんど首都圏にしてしまったと思います。

仙台に住むことで、仕事のたびに数日分の着替えを持って新幹線にのります。目的地が、東京でもどこでもあまり変わらずに感じ、結果として全国を旅してまわるような仕事スタイルになっています。一度仙台を離れるといろんな街の企業や大学を訪ねながら3000キロ以上、列車で旅路を行くこともあります。こういう生活をして、年間で100日以上ビジネスホテルに泊まっていますが、やはり東北、仙台に帰ってくるとほっとしますね。ああ、やっぱりここが僕のホームタウンだって。

-東北のものづくりは-

東北のものづくりの性質は、古よりの思考体型というよりも、近代のものづくりの影響を大きく受けていると考えています。

東北の企業は、東北人らしく、とても丁寧にきちんとした仕事をすることが上手く、下請け型の産業構造においてその力を強く発揮してきました。そして、スペックが決まっているものであれば、高品質で、低価格で、素晴らしいものを作る能力は磨かれていきました。一方でその事業スタイルの強化は、創造的に独自の商品を創り出し、独自に販売してく力を失わせていきました。もちろん、すべての企業そうだ、とは言えませんが。

そして、国内経済はシュリンクの長い局面を迎え、産業構造は崩れ、下請け仕事は急速に減りました。さりとて、先のような成長の軌道をたどっており、急に自社商品を開発し独力で販売をすることもできません。

しかし、社会や技術の環境が変わってきて、たくさんのチャンスが出てきました。ものづくりの領域に新しい流れが起こりつつあります。まず開発資金面です。クリエイティブなコンセプトを立てた人たちが、クラウドファンディングのプラットフォームから資金力を得て、創造的なアイデアを形にしています。製造面は、高い技術力を持った町工場などの中小企業群がサポートしています。販売面は、小規模事業でもアマゾンのような販売プラットフォームが存在する現代ではそれなりに展開ができます。こうした流れは、消費動向の変化に後押しされて形を変えながら産業構造の一部になるでしょう。

こうした時代、東北のものづくりにはチャンスがある。下請け型の産業構造時代で鍛えられた、高品質のものづくりの力が東北の企業にはある。あとはそこに創造的な仕事を担う部分、つまり、頭脳があれば、ブレイクスルーが起こる会社が何社もある。私はそう思います。

東北人の高品質なものづくりは、創造的な力を付けることで、きっと面白い可能性をいくつも作り出していくでしょう。

-人は、出来ないことは思い付けない-

やれるかやれないか分からない物は世の中にいっぱいあります。どんなに精度よく計画を立てても、分析しても、世の中の情報やメカニズムは完璧に知り尽くせない。不確定要因は人間のすることには必ず存在する。もちろん、それでも新しいことに取り組み成し遂げようとする人は、予測の確度を高めるべく努力をするべきですが、それでも、なお、残るのです。

どんなに潰そうとしても、ゼロにできない不確定要因、その顕著な要因となるのは“未来”です。未来というのは、ある程度、予想はできても絶対に、というのは言えない。数年後の大きな動態をある程度の確率で予測することはできても、小規模な個別の事象に対して予測するのはとても困難です。なので、人間はある程度曖昧な暗闇の中を進むしか無いのです。とても曖昧な不確実な世界で生きている。

かつて、情報収集をきちんとやれば、完璧な経営判断ができると考えていましたが、それは違う、100%正解なんて有り得ないと気づきました。
どんなに調査・検討を重ねた経営判断であっても間違えることはある。どんな大企業でも、世界に70億人いる中でせいぜい10万人の社員数しか持たない。社員全員の情報が集まったとしても、ヒトの中ですら1/7000の事しか分からないのです。

確かに、正確性、確度が低い、高いというのはある。ただ、確度が低いからやめる事、これは本当に勿体無い。
確度というのは、やるかどうかの心づもり、意志の強さに寄るところが大きい。そう、強く思います。

創造工学の観点からすれば、「人間は実現させることが出来ない事は思いつく事が出来ない。」と言えましょう。
出来ないことは、人間は思いつけない。逆に、思いつけたことは、どんなに困難でも、道は必ず有ります。私は震災の混乱の中、難局に直面しても、常に人のもつ力を信じ、可能性を創り出していました。

例えば、突飛もないことの例として…そうですね、いま考えてみましたが、例えば「月と地球でアメリカン・クラッカーを作ってぶつけたい。」という着想。これは少なくとも現段階では流石に無理ですが、どういう強度のロープがあって、どういう規模のエネルギーがあれば出来るかというのは”考えられる”、設計図は引ける。
後は将来、今は存在しないよう素材や、途方もない推進力、人間の移住先、惑星の破壊による太陽系への影響をおさえる方法など、いくつものブレイクスルーがあれば、実現可能です!まぁできるようになっても、誰もやろうとはしないでしょうけれど(笑)。

-アイデアプラントが目指すもの-

アイデアプラントの理念、志として「創造的な活動をする人や組織が次々と生まれてくる社会を創りたい」を掲げていますが、これはジャンプアップするための目標で、実はもっと先を見ています。

究極の目標は「世界中から尊敬される企業を次々と日本から輩出する」です。

このままいけば将来、世界人口はこれからも増え、日本の人口は減り、日本は小さな国になっていってしまう。日本をアジアの小国で終わらせたくない。今の子供たちが大人になるころ、世界から見て「アジアの東の端にある国からは毎年面白い企業が生まれてくる!」そんな事を言ってもらえる日本にしたい。

きちんとした収益性を持ち、とても素晴らしいプロダクトを創る会社が出てくる。ひいては尊敬される企業。「その会社の製品が無かったら本当に困る!その会社あって本当に良かった!」そう言って貰える企業が次々と生まれてくる社会を想い描いています。その中で、自分が好きで得意である創造工学の道を歩んでいます。

アイデアプラントとして、今では毎年500~1000人の人にレクチャーをしています。
その中の100人に1人、1000人に1人はこのブレイクスルーにたどり着く人が出てくるのではないかと考えています。育てた若者がこの社会をクリエイティブにし、その中の1%でも世界に尊敬される企業を創ってくれることを夢見ています。

※ 石井氏にはTEDxTohoku2012カンファレンスに”素晴らしい形”で協力して頂いています。当日をお楽しみに!

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